だれかといない場所

2024年9月8日刊行

執筆者

井上彼方(VG+)

小泉初恵(相思社)

佐藤創(鳥羽・なかまち)

関口竜平(本屋lighthouse)

大東悠二(HIBIUTA AND COMPANY)

 

小エッセイ・孤伏澤つたゐ

編集・井上梓

はじめに

井上梓

「わかち合う時を求めて、わたしたちの共有地をつくる」。

 そんな場所ではたらくことが決まったとき、「共有地」の本をつくりたい、とまっさきに思った。

 まっさらな出版の計画書に「共有地の本」と書きこんだ(といってもわたしはメモをとらない人間なので頭の中にある計画書、だが)。そのときはまだ、どのような本をつくっていくかについては未知数だった。

 その日から、共有地探しがはじまった。

 ただ、この共有地探しには大きな問題があった。共有地ってなに? である。共有地という概念は漠然としていて抽象的で、よくわからない。世の中にはきちんと定義づけがされている共有地というものが存在するのかもしれないが……。

 そこでわたしは、共有地と思える場所について考えることにした。まち、はそうだ。カフェ、もそうらしい。書店、は――言わずもがな、という顔をしているけれど、書店ってほんとうにそうだろうか? という思いもなきにしもあらず。だって「本」って有料だ。お金を持っている存在だけが「共有」できるのでは? とか。考えれば考えるほどわからなくなる。これは難しい問題だ。

 まあそもそもが、抽象的な概念じゃないか。

 よし、それなら共有地だと思われる場を維持している存在に話を聞いてみるのはどうだろう。……ということで、わたしが共有地だと思った場に関係する者たちにエッセイを書いてもらうことにした。

 まちがある、書店がある、「共有地」と名乗る場所がある。――そして、「本」そのものも、わたしにとっては共有地だ、と思った。書物というのはなんとなく一方的に、相互通行のない閉じたコンテンツのように思えるが、ここにわたしの居場所がある、わたしの知るものたちの居場所がある、と思う瞬間がある。そしてそう思わせられる書物は、書店や、図書館、駅の待合などに存在することで「ここはわたしがいる場だ」と認識できる機能を果たす。ならばそれもまた、共有地である。

 ふたつのまちと、一軒の書店、本(とそれをつくる取り組みをしている)、共有地を名乗っている「場所」、五つの共有地を維持する存在に原稿依頼を出し、到着するのを待ちながら、本のタイトルを考えた。

 

 「だれかといない場所」

 

 すんなりとタイトルは決まった。

 「共有地」なのに、「だれかといない」だって? ふしぎに思われるかもしれないが、「あなた‐わたし」という関係で一緒にいる場所のことを共有地って呼ぶの、ちょっと違和感がある。特定の「だれか」といる場所、それはとても個室、のような。

 共有地にはかならず他者がいる。もちろん互いに名を知り、深く語りあう他者のこともある、いつも顔は見るけれど名を知らぬ他者のこともあれば、ゆきずりのまったく知らない他者のこともある。「共有地だ」と思う場所では、その他者とわたしはつながることよりも、つながらないことのほうが多かった。わたしが圧倒的に知らない存在たちがいて、調整され、維持され、はぐくまれてきた場所である。

 だれかの個人的な営みや行動、だれかの思いや試行錯誤、だれかののこり香――ここにいる/いただれかが、たたずみ、見わたす気配だけがあって、ここは、わたしもいる場所である、あなたもいる場所である、という空間だけがある。

 その場とともに歩む存在のすべてを知ることなく、そして、おなじ場を「あなた‐わたし」の共有をせず、「だれか」同士のまま、ひとりでたたずみ、見まわす、――やすらぎ、くつろいだとき、軌跡と、場、そのものが、「わたしたち」である場所を、共有地と、わたしは呼ぶのかもしれない。


刊行予定日:2024年9月8日(日)

判型:B6

ページ数:124ページ(予定)