ゆっくり、いそがず  人情度 98%

 

 

 小学生の頃に観て以来、2回目の観賞。初めて観たときは、淡々と日常を生きる人物たちの姿から何かを感じることはなかったが、映像として印象に残る場面はいくつかあった。

 今年地元で開催された古本市で、たまたまこの映画のパンフレットが目についた。年老いた女性と中年の男性がしわくちゃになりながら顔を寄せ合うジャケット写真を見たとき、眠っていた過去の映像的な記憶が蘇り、もう一度観たくなった。

 

 都会のマンハッタンを背に、下町のブルックリンへと電車がゆったりと走っていく。いい映画はだいたいオープニングで決まる! という持論を裏付けするにはもってこいの始まり。

 現代は、サッカーなどスポーツの結果を速く知るためのハイライト動画が人気を博し、注文した商品が速く届くことに価値が置かれるようになったが、その反面、遅さは非効率であるために切り捨てられてきた気がする。

 時代とともに、近年の映画の映像までもが効率化したようで、観客を飽きさせないための短い場面転換が多く、劇中に流れる時間が偽物のように感じることが多くなった。

 そんな時代に逆行するかのように、ひたすら電車が人を運んでいくロングショット。この映画には、本物の時間が流れている。映画の中で進む時計の針と、映画の外で流れる時間が同じだからこそ、そのあとに展開される物語にリアルさが増すのかもしれない。

 ファストムービー派の人がいれば、全編を早送りして数十分を費やす代わりに、冒頭を再生速度そのままに数分だけでも観てもらいたい。そうすることで、映画に流れる偽物の時間と本物の時間を見分けるという、新しい観賞の楽しみ方が生まれるかもしれない。

 そして、本作のパンフレットと出会い、私が、もう一度観てみたいと思わされたように、ジャケット写真の二人は一体どんな関係で、どんな物語があるのか?という、想像力を膨らませることの喜びを感じられるかもしれない。

 このレビューでは各映画の人情にパーセンテージをつけているが、そもそも人情とは何なのか。他の言葉に置き換えようとしてもわからない。それでも、人情が人を暖かくもすれば、寂しくもするものだと認識している。

 そんな説明し難い人情に惹かれるのは、身近に存在する市井の人たちに対して私が感じる「好き」の気持ちからして間違いはなさそうだ。

 例えば、職場近くのお好み焼き屋さんは人情の塊だ。気分によって勘定はまちまちだし、人の好き嫌いもハッキリしている。客に同窓生がいれば、すかさず母校の校歌を歌い出す。冷凍の餃子を躊躇なく鉄板に放り込み「これうまいんや」と何のてらいもなくご馳走してくれる。

 家の近くの定食屋さんもしかりで、昭和の空気感を漂わせる店内の小さなテレビからはプロ野球中継が流れている。店主の息子と思われる中年の男性は、出前以外は客席に座って観戦している。お会計を頼めば、愛想なくレジを打って釣り銭を軽く投げつけてくるが、どうしても憎めない。

 煙草屋を営む主人公のオーギー・レンもまさにそのたちだ。万引き客を捕まえるつもりがあるのかないのか、いつも逃がしてしまったり、愛する人を喪失した友に寄り添ったり、別れた恋人の信じるに足りない話に耳を傾けたりしている。さらには、ろくに仕事もできないであろう店員を時には叱りつつも、愛しいものへ向ける眼差しで雇い続けている。

 ラストシーンにようやく登場するジャケット写真の老婆。クリスマスの日にオーギー・レンと出会い、お互いが事情を抱えたまま人情が交差する場面は何度でも観たくなる。

 居場所をつくる仕事をライフワークとしている身としては、何気ない人々の暖かい交流を描いた本作に励まされることが多い。

 

smoke

 

 初めて観たときにはわからなかったけれど、一般的には煙たがられる人々を、肺の奥までゆっくり吸って吐き出せば、吸ったときと同じ煙が漂う世界の尊さを、今は感じることができる。