「朝」は終わったままではない―「レナードの朝」

                    村田奈穂

オリヴァー・サックス『レナードの朝 (新版)』(春日井晶子 訳、早川書房、2015年)

 

 

 個人的な話で恐縮だが、かつて重病を患い、長期間の投薬治療を受けたことがある。病が重いほど投与される薬も強力になる。薬の効果が強いほど、副作用も大きくなる。投薬の効果あり、私は病を克服することができたが、2年間にわたって悩まされた副作用の苦しみは筆舌に尽くしがたいものがあった。これだけ医療が進んで、薬剤のメカニズムが解明されてきた2020年代でも、病気の治療はリスクと背中合わせだ。もし、今ほど医療が発展していない時代に病気になったとしたら? さらに、いまだに治療法が確立されていない病気と闘わなければならないとしたら?

 

 

 『レナードの朝』は、当時治療法がなく、凍りついたような不動と沈黙のうちに長年閉じ込められていた「嗜眠性脳炎後遺症」の患者たちと、効果未知数の新薬でもって彼らを治療しようとした医師との、奇跡、そしてその先を描いた医療ノンフィクションである。

 著者である脳神経科医・オリヴァー・サックスは、1966年アメリカ・ペンシルベニア州にあるマウント・カーメル病院に赴任する。そこで彼が出会ったのは、共通した特徴を持つ、重症パーキンソン症候群の患者たちだった。彼らは、全身が凍結したかのような無動の状態に陥っており、言葉を発することもできない。いわば何十年も生きながら冬眠状態にあるようなもので、医療者も彼らが再び心身の機能を回復する可能性を断言できずにいた。サックスは、動かない体の奥に隠された患者たちの確かな人間性、そして似ているようでそれぞれの患者によって違う症状に魅せられ、治療法の研究に没頭する。3年後の1969年、治療チームはパーキンソン病に対する新薬として注目されていたL‐DOPAを患者たちに投与することを決断する。同薬は、1967年にようやく臨床治験に成功したばかりで、当時その効能に対する確実な評価はなされていなかった。しかし、サックスをはじめとする医師たちは、一抹の希望に賭けた。何もしなければ、患者たちは一生眠りの中に閉じ込められたままなのだ。L‐DOPAにより彼らが人生を取り戻す可能性がほんのわずかでもあるのであれば、投与をためらっている時間はない。

 

 そのようにしてL‐DOPAを投与された20人の患者たちの「目覚め」とその後の経緯は、第2章に詳しく描かれている。

 L‐DOPA投与直後は、患者たちに劇的なパーキンソン症状の改善が見られた。彼らの強張った四肢はほどけ、固まった舌はほぐれた。何十年も指すら動かしたことのなかった者が歩きだし、再び言葉を発することはないと思われていた者が活発に会話を交わしては笑い声を立てた。患者自身、そして治療者たちが熱望していた奇跡が訪れたのである。しかし、L‐DOPAは喜ばしい目覚めと同時に、過酷な副作用も引き連れてきた。副作用の現れ方は、患者によって千差万別だった。激しい筋肉の不随意運動、幻覚や幻聴、極端な気分変動……そのような症状に悩まされ、薬の投与を控えると、今度は抑えられていたパーキンソン症状が以前よりも重くなって再発してしまう。

 結局L‐DOPAを投与されたことによって日常生活に復帰できた患者はごく少数だった。何名かの患者は、副作用によって投与前より症状が悪化し、そのうちの数名は命を失った。

 

 では、マウント・カーメル病院における嗜眠性脳炎後遺症に対する一連の治療の試みは、患者を苦しめるだけの失敗に終わったのだろうか。

 私は、そうは思わない。

 確かに、L‐DOPAの副作用により非常な苦痛を味わった患者たちとその家族にとっては、その薬を投与されたことを手放しで喜ぶことはできないかもしれない。しかし、治療者がL‐DOPAが患者をよみがえらせる可能性に賭けたことにより、数十年間沈黙の中にとらわれていた患者たちは、再びその手で世界に触れ、大切な人に出会いなおすことができたのだ。たとえそれが、反面に大きな苦しみを抱えながらの一瞬の輝きであったとしても、この「目覚め」が訪れたことに意味がないとは思えない。

 私は、治療法の開発のためなら患者が犠牲になってもよいとは考えていない。だが、未知のものに相対するには、賭けるしかないのだ。医療の歴史は、膨大な負け戦の中で手にした一粒の砂のようなヒントを拡大するようにして発展してきたのではないのか。もちろん軽い賭けではない。失敗すれば、目の前にいる相手の命が失われる。そのとき間違えてはいけないのは、何のために賭けるかだ。サックスらマウント・カーメル病院の医師は、患者たちが人間らしい時間を取り戻すために賭けた。その揺るがない目的への献身が、「目覚め」の奇跡を生んだのではないだろうか。

 

 最初期にL‐DOPAによる治療を受け、劇的な回復から過酷な副作用の苦しみ、そして再度の沈黙という道筋をたどった患者、レナード・Lは、すべての経験を通り抜けた後、サックス医師にこう語る。

 

 今では、全てを受け入れることができます。あの体験はすばらしく、恐ろしく、劇的で、笑えるものでした。(中略)これまでずっと自分の周りに築いていた壁を突き破ることができました。ぼくはこれからも自分自身でい続けます。だから先生はL‐DOPAをしまっておいてください

 

 現在もパーキンソン病・パーキンソン症候群に対する根治療法は見つかっていない。しかし、L‐DOPAに多剤を組み合わせる薬物療法で、長期間患者の体の動きを保つことが可能になっている。

 レナードの「朝」は短いものだった。しかし、レナードが「朝」を迎えたことにより、その後のパーキンソン症候群の患者は、毎日やってくる朝の光の中を自分の足で歩くことができるようになったのだ。レナードの「朝」は終わったままではない。「朝」は、多くの患者のもとに引き継がれ、何度でも訪れる。