私の居場所をつくってきた本

ひびうたの居場所宅配サービスが開始されて、2週間が経とうとしています。

新型コロナウィルス感染対策のための外出規制等で、自分の居場所と感じられる場所から遠ざけられている人に、安心できる居場所を届けたいという思いから始まったこのサービス。これまで何人かの方にご利用いただいております。居場所の必要性を改めて感じるとともに、自分たちの想いに対し背中を押していただいているようで、こちらが力づけられています。応援してくださるみなさん、ありがとうございます。

今回、より多くの人に、このサービスのことを知っていただきたい、利用していただきたいとの思いから、「居場所宅配サービス」で貸出している書籍を、このブログで紹介していきます。

楽しく読んでいただければ幸いです。

 

寺山修司の詩の中に、「友のない子に本がある」という言葉があった。ような気がする。

私は幼少期から人と仲良くすることが苦手で、いつも一人ぼっちで教室の外をにらんでいる子供だった。友達がほしくないわけではなかった。しかし、みんなと一緒に遊んだり笑ったりしようとしても、みんなが何に一生懸命になっているのか、何を面白いと思っているのか、さっぱりわからなかった。好かれようと努力すればするほど嫌われた。教室の中に、まったく居場所を見つけられなかった。

大人になってやっと学校に通わなくてよくなり、ほっとしたのもつかの間、今度は「社会」というものの中に自分の居場所と思える場所がほとんどないことに気づいて、愕然とした。三つ子の魂百までとは、よく言ったものである。

そんな中でも、本があったからこそ、自分はつらいこともそれなりに乗り越えて、ここまでやってこられたのだと思っている。本は気前よく自分の知っていることを私に教えてくれたし、頭ごなしに「お前は間違っている」と怒らなかったし、私が心の中に抱えているもやもやを、的確に言葉にしてくれた。他人から思うように得られない安心感を、私は本から得ていたのだと思う。

ほとんど友達がいなかったから、本に触れる時間は有り余っていた。

本の話をしていると、「読書家ですね」と言われることもあるが、自分を研鑽するために意欲的に努力しようとする気はほとほとなく、ただ暇だから読んでいるうちに、いろいろな本が自分の中に積み重なっていった次第である。

そのようにして読んできた中でも、特別自分の心にぴったりくる、親友のような本に出会えることがある。

「居場所宅配サービス」で利用できる本の中にも、居場所のなかった私の「居場所本」があるので、三冊紹介しようと思う。気になる本があれば、お問い合わせください。

 

①『波止場日記 労働と思索』 エリック・ホッファー著/田中淳訳 みすず書房

日記というものが面白くなる一つの要素として、肉体を持った一人の人間の生活を思い浮かべるのが容易になるという点がある。どんな偉い人でも、ご飯を食べるし、夜は眠る。時にはまずいものを食べて顔をしかめたり、思わぬ臨時収入を得てほくほく顔になったりすることもあるだろう。それは、私たちにとってなじみのない感覚ではない。共通の経験があることにより、読者は著者により親近感を抱きやすくなるだろう。日記が、読者に近い「生活者」としての著者の顔をよく表現しているなら、なおさらである。

本書の著者は、沖仲士として肉体労働に従事する傍ら、読書と思索に励み、社会哲学者というもう一つの顔を持っていた人物である。日記の中には労働の厳しさや、日々のやりくりの苦労と、読書の記録や、当時の社会情勢に対する鋭い洞察とが併存している。 文筆業が軌道に乗ってからも、変わらず港に通い続けた著者の姿からは、労働と学問を両立する可能性への希望を認めることができる。

 

②『第一阿房列車』 内田百閒 新潮文庫

百閒先生は、変な人である。

仲間と食事に行くと、トンカツを6枚食べてけろっとしている。有名な観光地にはあえて行かない主義。かわいがっているネコがいなくなったら、広告を出してまで徹底的に探し回る。名誉ある芸術院会員に選ばれても、「イヤダカラ、イヤダ」と知らんぷり…。

百閒先生のおかしさは、ポーズじゃない。文豪があえて奇をてらって天才らしく見せようとするのでもなければ、自分の変なところを恥ずかしがって隠そうとするのでもない。百閒先生は百閒先生の思いのまま、自然にふるまっているだけである。どれだけ周りの人におかしいと笑われても、百閒先生自身は決して自分の生き方を変える事はない。堂々と変でいる、ということは、簡単そうで難しいことだ。それを痛感していると、あくまでも自分スタイルを貫く百閒先生が、俄然かっこよく思えてくるから不思議だ。

本書では百閒先生が「なんにも用事がないけれど」汽車の旅に出る。汽車に乗るためだけに人にお金を借りに行ったり、お連れのヒマラヤ山系くんのカバンに難癖をつけまくったり…どんなときでも、読んでいるとガハハと笑えて元気になる本。

 

③『わたしを離さないで』 カズオ・イシグロ著/ 土屋政雄訳 早川書房

前回のブログでも書いたが、時々すべての雑音から離れて、気持ちを落ち着けたくなるときがある。

そんなときはお気に入りの図書館か美術館に出かけるのが一番だが、出かけられないときは、静けさを感じられる本を読む。ノーベル文学賞受賞作家のカズオ・イシグロの書く小説は、静けさを求めるときにぴったりの書物だ。

カズオ・イシグロの書く世界をイメージすると、曇りの日の凪いだ海が思い浮かぶ。何も起こらない、というわけではないのだが、物事はいつも、ひそかに発生し、登場人物たちがその重大性に気づかないうちに、いつの間にか進行していく。取り返しのつかない悲劇が起きたとしても、登場人物たちは劇的に嘆いたり、悲嘆の叫びをあげることはない。ただ、もう戻ってこない大切だったものの方を振り返り、時折静かに涙を流しているだけだ。イシグロの書く世界の中では、人々は自分の信じていたものの脆さに気づかされる。しかし、その失望を受け入れて、それでも生きていこうとする姿が描かれている。イシグロの小説は、いつも私に、生きていくということの哀しみと覚悟を、ささやき声で語りかけてくれる。

私が一番好きなイシグロ作品は、同じ早川書房から出版されている『日の名残り』だが、ひびうた文庫にはないので、最も人気なこの作品を。決まっている運命にどう向き合うかと、考えさせられる一冊。