こんにちは。ブックハウスひびうた管理者の村田です。
8月27日から9月12日まで、三重県内に新型コロナウィルス感染症に係る緊急事態宣言が発令されています。
繰り返される緊急事態宣言⇒感染者の再増大のサイクルに虚しさを感じずにはいられませんが、重苦しい気分を払しょくするためにも、今は今できることで自分の心を豊かに保っていくしかないのかなと思っています。
読書は、単調になりがちな日々にきっと彩りを与えてくれるはずです。
みなさんに、自粛時代の中でも人生を変えられるような一冊を紹介していきたいです。
今日紹介するのは、前回に引き続き、ドイツの児童文学作家ミヒャエル・エンデの名作です。
長文にはなりますが、読んでいただけると嬉しいです。
『はてしない物語』ミヒャエル・エンデ作 上田真而子 佐藤真理子 訳 岩波書店
ミヒャエル・エンデの小説をもう一作紹介しましょう。
1984年の映画化作品「ネバー・エンディング・ストーリー」が大ヒットした、『はてしない物語』。
映画をご覧になった方も、一度小説版でこの物語を体験してほしいのです。
なぜなら、この物語には、「読む」ことに関するエンデの考え方が表れているのですから。
・『はてしない物語』の重要なテーマ①:名づけること
いじめられっ子のバスチアン・バルタザール・ブックスは、級友から逃げる途中でカール・コンラート・コレアンダーさんの古本屋に飛び込み、そこでコレアンダーさんが読んでいたあかがね色の絹の表紙の本に引き付けられ、思わずその本を盗んでしまいます。
学校の倉庫に逃げ込んで、その本を読み始めたバスチアンは、不思議な物語に引き込まれていきます。
その物語は、ファンタージエン国という王国に広まっている、奇妙な現象に関する噂で幕を開けます。それは、そのあたりにあったものが次々に消えてしまって、何もないうつろな場所、いわば「虚無」になってしまうという現象でした。
ファンタージエン全土で起こっているこの現象は、女王「幼ごころの君」が病気になっているせいだという説がささやかれます。
幼ごころの君を診察した医師は、少年アトレーユに女王の任命をうけたものが持つおしるし=「アウリン」を渡して、ファンタージエンに救いをもたらしてくれる者を探すという使命を与えます。
バスチアンは、アトレーユの冒険に一喜一憂しながら、アトレーユと一緒にファンタージエン国を救う旅を繰り広げることになるのです。
物語の中で、女王幼ごころの君の病を救うたった一つの方法が示されます。それは、人間の世界に住む者が、幼ごころの君に新しい名前をつけること。
女王が病気になってしまった原因は、ずっと昔から存在する女王の名前が忘れられてしまったからだというのです。
このエピソードが象徴するように、「名前」はこの物語を貫く重要な鍵のひとつです。
後半バスチアンがファンタージエンで冒険を繰り広げるときも、物事は彼が名前をつけることによって存在し、使用することができるようになります。彼がファンタージエンで最後まで持ち続けるのも、「バスチアン・バルタザール・ブックス」という名前なのです。
どうして「名前」というものが、ファンタージエンにおいてこれほど重要なのでしょうか。
新しい名前が必要な理由を尋ねられた幼ごころの君は、このように答えています。
「正しい名だけが、すべての生きものや事がらをほんとうのものにすることができるのです。…誤った名は、すべてをほんとうでないものにしてしまいます。それこそ虚偽の仕業なのですよ。」(p238)
虚偽は、ファンタージエンを蝕んでいる虚無と深いかかわりのあるものです。虚偽が蔓延すると、虚無が広がり、ファンタージエンも人間界も荒廃してしまう。物事を正しい名前で呼ぶことは、虚偽に対抗する一つの方法なのです。
・『はてしない物語』の重要なテーマ②:望み
物語の中で、幼ごころの君に新しい名をつけて救い主となったバスチアンは、ファンタージエンの女王幼ごころの君の全権を託されたしるし、アウリンを授けられます。アウリンは、二匹の蛇が互いに相手の尾を噛み、楕円につながった形をしており、裏側に「汝の 欲する ことを なせ」という言葉が彫られています。
ファンタージエンで出会ったライオンのグラオーグラマーンに、バスチアンはアウリンに彫られた言葉の意味を問います。グラオーグラマーンは答えます。
「それは、あなたさまが真に欲することをすべきだということです。あなたさまの真の意志を持てということです。」(p317)
バスチアンは、彼がファンタージエンでたどり着くべきものが真の意志であること、それを見つけるには、一つ一つの望みを最後まで辿っていくことだと告げられます。
ファンタージエンにおいては、彼が望みを持つことによって道がつくられるのです。望みがないと、向かうべき方向を見つける事すらできません。
幼ごころの君も、バスチアンにファンタージエンが彼の望みによって新しくつくられるのだと告げていました。
ファンタージエンでは、人間の望みが強い力を持っているようです。
真の意志への道について語るグラオーグラマーンは、バスチアンに一つ忠告を与えます。
「この道をゆくには、この上ない誠実さと細心の注意がなければならないのです。この道ほど決定的に迷ってしまいやすい道はほかにないのですから。」(p318)
最初はこの忠告にピンとこなかったバスチアンですが、長い旅を経て、真の意志にたどり着くことの困難さを知ります。
自分の今までの望みはすべて間違っていたと悔やむバスチアンに、ある人物が語りかけます。
「あなたは望みの道を歩いてきたの。この道は、けっしてまっすぐではないのよ。あなたも大きなまわり道をしたけれど、でもそれがあなたの道だったの。…そこへ通じる道なら、どれも結局は正しい道だったのよ。」(p541)
バスチアンは真の意志にたどり着けるのでしょうか。ファンタージエンに来たばかりのときの彼の望みと、旅の終わり近くの彼の望みでは、何か違うところがあるでしょうか。いろいろと考えてみるのも面白いかもしれません。
・物語論としての『はてしない物語』
『ほてしない物語』の中には、物語というものについてのエンデの考えが随所に表れています。
この本の中盤で、バスチアンがファンタージエンの中に入り込んだときのエピソードを読んでいると、エンデが物語の役割として重要視していたことの一つに、物事の存在意義をはっきりさせるというものがあるのではないかと感じます。
前にも書きましたが、バスチアンは幼ごころの君に新しい名前を与えてファンタージエンを救った後も、ファンタージエン中の様々なものに名前をつけたり、そのはじまりの物語を語ったりしています。
名前を与えられたものはそのときからその役割を果たすようになり、物語を与えられた住民たちは、「われわれの起源がわかった」と喜びます。
このことが、物語の持つ最大の効能ではないかと私は感じました。
人は、ただ存在するだけでは満足できませんし、ただ存在するだけのものに強い愛情は抱けないのではないでしょうか。
物語は、語られる人や物事の背景をくっきりと描き出してくれます。ただの石ころであっても、背後に物語があれば、その石に愛着がわくかも知れません。苦手な人がいても、その人が歩んできた人生を知ったら、憎むことはできなくなることもあります。そして、自分の人生をふりかえってみて、初めて自分の生きてきた意味がわかったという方もいらっしゃると思います。
人や物を自分の中に息づかせるために物語というものがある。この本からは、エンデからのメッセージを伝えてくれているような気がします。
自分やほかの物事の存在に意味を見いだせないときに、人は虚無に陥ります。物語は読む人がいてこそ意味がある。訪れる人間がいないファンタージエンに虚無が広がるのは、当然のこととも言えます。
手っ取り早く自分に意味があるように見せかけようとするときに、虚偽が使われます。誰もが飛びつけるような幻想や盲信に依った存在意義は虚偽のものですから、そこからは虚無しか生まれないのです。
救い主を求める冒険の途中で、アトレーユは虚無と虚偽の関係について聞かされます。虚無を潜り抜けて人間界に行ったファンタージエンの住人は、人間界で虚偽になり、人間がファンタージエンの存在を信じない原因になるというのです。その結果人間がファンタージエンに来なくなり、ファンタージエンにますます虚無が広がるという悪循環が起こっているのでした。
人間界とファンタージエンとの不幸な関係にショックを受けるアトレーユに、女王幼ごころの君は語りかけます。
「人の子がファンタージエンにやってくるのは、それは正しい道なのです。…かれらはそなたたちのまことの姿を見たゆえに目を開かれ、自分の世界や同胞をもそれまでとは違った目で見るようになりました。…そのおかげでこちらの世界が豊かになり、栄えれば栄えるほど向こうの世界でも虚偽は少なくなり、よりよい世界になっていたのです。」(p236)
虚偽と虚無に対抗するには、物事の「まことの姿」を見つめることが大切です。良き物語は、物事の「まことの姿」を照らし出し、そのものの存在意義を語ってくれる。
エンデは、世界を巻き込んだ戦争を経験し、強烈な虚無と虚偽に直面した中で、人の心を荒れ果てさせるものにあらがう力を、物語に見出していたのかもしれません。
それでは、私たちがファンタージエンに行くためには、どうすればいいのでしょうか。
ご心配なく。エンデはちゃんと答えを用意してくれています。
最後に、ファンタージエンへの入口について語る古本屋コレアンダーさんの言葉を引用しておきましょう。
「ほんとうの物語は、みんなそれぞれはてしない物語なんだ。…ファンタージエンへの入口はいくらもあるんだよ。…それに気がつかない人が多いんだ。つまり、そういう本を手にして読む人しだいなんだ。」(p587)
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