居場所の文化について

 

人を大事にできないのは、自分を大事にできないから。

 

人を大事にできるのは、自分を大事にできるから。

 

ここ数ヶ月の間で感じたことです。

 

 

ひびうたの開所以来6年間、居場所の文化を育ててきました。

 

どんな違いがあっても尊敬して接する。

仲間外れにされる人がいたら味方になる。

関わるのが難しい人がいたら関わり方を示す。

 

こうして、誰もが安心して存在できる場所をつくってきました。

 

ところが、育ててきたはずの居場所の文化の木が、ぽきっと折れてしまいました。

 

 

4つの運営する居場所の中でも一番大きく育った木だと思っていただけにショックでした。

 

なぜ木が折れるかというと、根っこが弱いからだと思います。

 

私が初めに根っこを張り、スタッフが次に根っこを広げ、大きな木が育ったようにみえました。

 

ただ、そう見えていたのは居場所に集うメンバーという栄養が根に合っていたからです。

 

栄養が偏り続けた途端、木を支えるための根の強さを脆くも失いました。

 

これはいけないと思い、頭を抱えました。

 

最近は悩みに直面したとき、文化・芸術に頼ることが増えました。

以下、そこから学んで思考と実践したことをまとめました。

 

・演劇

第七劇場の演劇「桜の園」を「かもめ」以来ひさしぶりに鑑賞しました。チェーホフ作の戯曲としては二作目で、映画「ドライブ・マイ・カー」で「ワーニャおじさん」をかじったのを含めると、三作目になります。これらの作品に共通して感じることは、主要な登場人物たちに全然共感できないということです。共感できないにも関わらず、舞台を観たくなります。二年前に体験した愛知トリエンナーレ2019の現代アートもそうでしたが、意味がわからなくてお手上げと思われることを、そのまま受け入れるということを教えてもらっている気がするからでしょうか。「桜の園」のトークセッションで、演出家の鳴海さんが「違いを明らかにした上で、一緒に生きていきましょう」という役割が文化や芸術にはあるとおっしゃっていて、私たちの居場所もまさに同じではないか!と感銘を受けました。居場所は誰もが来ることができ、指導や管理をされないために、違いが明らかになります。ただ、違いのある人を見下したり、利用したり、傷つけてしまうことも起きやすくなります。「違いを明らかにする」まではできている。「一緒に生きていく」ために何が必要かを考えさせられました。

 

・書籍

岡田淳の児童文学「びりっかすの神様」からは、「一緒に生きていく」ために実践する方法を学びました。びりっかすの神様と呼ばれる妖精は、小学4年生の女の子が他の子にバカにされた瞬間に生まれました。そして、成績がびりの子にしか見えない妖精でもありました。つまりこの女の子はびりを取り、他の子から違いのある子としてバカにされました。ただ、女の子のクラス全員がびりを取ることで妖精の姿を共有します。さらに、その姿を見たもの同士はテレパシーで会話することができるようになりました。 テレパシーで会話をすることでお互いのことを知り、誰もバカにされなくなったときに妖精は去っていくという物語です。なるほど!と思いました。みんなに見える妖精になろうと思い、久しぶりに短時間ではありますが、一週間居場所のスタッフをしました。するとその場にいたメンバーはテレパシーで会話をしていたのか、誰かをバカにすることがなくなりました。ただ、それは抑止力になっていただけで場を育てている感覚が持てず、いかにも不自然な平穏といった感じでした。

 

・映画

黒澤明の「隠し砦の三悪人」はスターウォーズのC-3POとR2-D2の原型キャラクターが登場すると聞いていたので。スターウォーズ(エピソード9以外の)ファンとしてはワクワクしながら観ました。原型キャラクターは想像以上に最高でしたが、それ以上に感動したのことは、三悪人と旅を共にした姫が、裏切った家臣に向けて言い放った「人の情けを生かすも殺すも己の器量しだいじゃ!」との言葉でした。私が居場所のスタッフをすることで、そのままでいられるはずの居場所に、こうあるべきという力みを与えてしまうのではないかと恐れていましたが、私の存在をどう受け取るかは相手次第と割り切ることが出来ました。

 

アル・ゴアの環境活動を追ったドキュメンタリー「不都合な真実2」からは、文化を育てるための本気さに感動しました。2015年にパリ協定を成立させるまでの道のりは挑戦と挫折の連続で、2017年にトランプ大統領が協定から離脱するという危機にも直面しました。それでも、彼は2006年から15年もの間、世界各地で環境活動リーダー養成講座を開催し続け、今では養成講座を受講したメンバーが意思を引き継ぎ活動をリードしています。居場所の文化を育てるのも時間をかけることが必要だと確信しました。

 

 ・音楽

槇原敬之の「どんなときも」ハンバートハンバートverを聴きました。「どんなときも どんなときも 迷い探し続ける日々が 答えになること僕は知ってるから」このままもがきながら実践し続けていく力をもらいました。

 

これら文化の力で居場所の文化を育む実践を通して、取り組むべきことが明確になりました。

 

一つは、居場所の文化の根を、利用してくれる人たちとも一緒に広げていきます。

私やスタッフがいなくなり、どんな違いのあるメンバーが集っても、安心して誰もがここに居られる場所をつくるには、時間をかけて対話し、居場所の文化を学んでいくことしかないと思いました。

それが本当の意味で持続可能な居場所になる気がしています。

 

もう一つは、社会をつくるのは人であることから、傷ついた個人の心が回復していく必要があるため、心の年輪の一番内側の傷を手当てすることにも取り組みます。

 

どちらも気の遠くなるような活動ではありますが、本気で違いのある人たちと共に生きていくために、目の前の一人一人のそのままの気持ちがやわらかくなり、自主的な場づくりが行われるように、居場所の文化を育てていきます。

 

そして、一緒に居場所の文化を育てていきましょう。

 

 

ひびうた

代表 大東悠二

 

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コメント: 3
  • #1

    みちむちょ (金曜日, 15 10月 2021 22:44)

    応援しています�✨

  • #2

    みみ (月曜日, 18 10月 2021 10:08)

    ありがとうございます!
    とても心強いです。

  • #3

    ゆうき (土曜日, 23 12月 2023 13:56)

    ちょうど今日、大好きな出版社であるミシマ社さんのサイトを眺めていた時に「ちゃぶ台9」が目に止まり、目次の中に〜ブックハウスひびうた「生きづらさを感じる人の居場所として」〜という一文を見つけてここへ辿り着きました。私自身、1年半前にミシマ社出版の「共有地をつくる/平川克美さん」を読んで以降、”共有地”に興味があったり、原体験から「”じぶんはここに居ていい”と思える世界にみんなが出逢える場をつくりたい」という想いを持っていたりするので、ひびうたさんの活動や、みなさんが綴られている想いに深く共感することばかりで、勝手に仲間を見つけたような、うれしい気持ちが湧きあがっています。またぜひいつか訪問させてください。応援しています。

    隠岐海士町在住/23歳