管理者あいさつ(コミュニティハウスひびうた)

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管理者あいさつ(コミュニティハウスひびうた)

はじめまして。

コミュニティハウスひびうたの管理者に8月より就任いたします、「にゃーさん」こと南野京子です。

 

ひびうたで働き始めて2年と半年。

初めてひびうたを訪れた当時の私は前職を退職して半年経った頃で、生きることに精一杯でした。

そんな私の自己紹介を兼ねて、前職の事、退職するきっかけになった病気のこと、ひびうたでお仕事をすることになった経緯、ひびうたに来てからのお仕事についてをお話ししたいなと思います。

 

前職は、「知的障害者入所施設」の生活支援員でした。6年近く勤めていました。

体力的にも精神的にも「きつい」と言われる福祉のお仕事でしたが、利用者さんと関わるお仕事は楽しく、勝手に「天職かも!」と思っていました。

 障害のある方の食事、入浴、トイレなどの介助の他、日中活動の支援などなど。

総勢50名以上の利用者さんのために、二階建ての大きな施設の中を文字通り毎日クルクルと走り回っていました。

 

福祉のお仕事はその時が初めてで、全て支援員や施設が「管理する」「管理される」ということに驚きました。

飲むお茶の量、ジュースを買える日、散歩に行ける日など、、、

共同生活なので仕方ない部分を差し引いても、「なんで?」という違和感を抱きながらも、務める年数が増えるにつれてそんな感覚も薄れ「それが当たり前の世界」として受け入れてしまっていました。

 

共同生活なので、トラブルは日常茶飯事。

なのですが、絶対にトラブルが起きないようにするために、万全の体制で管理していました。

外の世界(と施設内では言っていました)の人が見たら、ビックリするようなオカシナ常識が「利用者さんのため」という大義名分のもと採用されていました。

 

私が理想に思っていた利用者さんの幸せと、現実の支援が違い過ぎて。

でも、それを変える力も知識も行動力もなく、日々、無力感を感じながらもその中で出来る事を精一杯していました。

 

シングルマザーでしたが、娘たちが大きくなるにつれて夜勤に入るようにもなりました。

一人で娘二人を育てるのに、手当が貰える夜勤は待ちに待ったものでしたし、昼間関わっている利用者さんと夜も関われる喜びに期待とちょっぴりの不安を持ちながらドキドキしていたのを覚えています。

 

なのに、その夜勤が原因で私は心と体を壊してしまいました。

 

私は利用者さんにとって、いわゆる「優しい」職員でした。

良い意味でも、悪い意味でも。

今でもその当時も「違う」と断言できますが、施設では「怖い」職員さんが仕事が上手くいく職員さんだったように感じていました。

今思えば、技術と知識がなかった優しいだけの私は、夜間、1人で23人ほどの利用者さんを上手く支援することができず、夜勤明けは自分のふがいなさに落ち込むばかりでした。

 

月に4回ほどの夜勤でしたが、そのうち、夜勤の日は勝手に涙がでるようになり、唯一の取り柄だった笑顔が消えていきました。

さらに、背中の痛みで朝起きられない、ご飯が食べられない、夜寝られないなど体も元気がなくなっていきました。

心配した同僚が、自分の通っているクリニックに行くよう勧めてくれ、そこで「鬱病」と診断され3カ月休職することになりました。

 

前にも書きましたが、シングルマザーで二人の娘を育てていたので、鬱病という病気も、3カ月も休職する現実も到底受け入れることが出来ませんでした。

 

私が働かなかったらどうなるんだろう?

頑張って病気を治して復帰しなくちゃと、ただただ不安で毎日泣いてばかりいました。

 

結局、3カ月で復職し5カ月働きましたが、鬱病が再発し、ついには退職することになってしまいました。

大好きだった利用者さん。

天職だと思っていた仕事。

娘たちを一人でだって立派に育てていけるという希望。

全てを失ってもなお、鬱病という病気を受け入れることが出来ませんでした。

 

飲みたくない薬、副作用で震える手、動かない体、読めなくなった本、眠れない夜。

 

病気になって経験したことは、ひびうたに来る利用者さんの訴えと同じところがたくさんあります。

鬱病になった事は今でも、良い経験だったなんて一ミリも思いませんが、利用者さんの気持が体験として分かるという点では悪くはなかったかなと思っています。

 

退職してから出会った友人が、自立支援、障害者手帳、障害年金の受給について教えてくれたおかげで、少しずつ前を向いて立ち上がり、引きこもっていた私の気持ちを外に向けてくれました。

福祉の仕事をしていたにもかかわらず、福祉のサービスについて何一つ知らなかったのです。

市役所にも病院にも行っていたのに、誰も教えてはくれませんでした。

 

知識をゲットした私は、少しずつ元気も取り戻していきました。

 

元気を取り戻しても、主治医の先生は悪化することを恐れて、働くことをなかなか許してはくれませんでした。

だからといって、受給できた障害年金だけでは家賃を払うと残らない金額で、それまでの貯金を切り崩しての生活をどうにかしなくてはなりませんでした。

 

いつでも働けるよう、体力をつけるために散歩をしたり。

朝は決まった時間に起きたり。

少しでも収入を得るために稼ごうと、LINEスタンプの作り方を勉強して、何種類か作ったりもしました。

 

そんな私の姿を見て、娘が言いました。

 

「誰にたのまれとるわけでもないのに。寝とればええやん。」

 

無理してるように見えたのでしょう。

病気が悪くなるのではと心配になったのでしょう。

見ていられなかったのでしょう。

 

誰に頼まれているわけでもない。

むしろ働くなと言われている。

でも生きていくのに十分なお金もない。

 

誰にも必要とされていないんだ。

そんなふうに思ってしまいました。

 

私だって誰かに必要とされたい。

生きててもいいよって言われたい。

 

とたんにションボリした私にカフェ大好きな娘が声をかけてくれました。

「うちの近くにお母さんみたいな人が集まるカフェがあるんやてー。珈琲豆の選別しながら、おにぎり食べたりお味噌汁飲んだりしとるってー。ひびうたっていうところ。行ってみたら?どうせ暇やろ?」

 

当時のひびうたのHPを見たのでしょうが、カフェだと思ったみたいです。

完全人見知りで保守的な私は「珈琲飲めやんもん。人見知りやからそういう集まりは苦手やもん。」と断りました。

 

時を同じくして、実家のカフェ用に私が作ったLINEスタンプを、ひびうたスタッフのジュンちゃんが見て「スタンプの作り方を知りたい」と私の弟に伝えたそうで、弟から一報が入りました。

「ひびうたのジュンさんの所へ行け。教えてやってくれ。暇やろ?すぐ行け。」

 

ひびうたって、娘が言ってたあのひびうたです。

まぁ、用事としてなら行けるかなと足どり重く、ドキドキしながら向かいました。

思えばあの日から、ほぼ毎日ひびうたに通い、スタッフとして働くことになるなんて。

どのピースがかけていても、今の私はなかったんだなと思うと、胸がいっぱいになります。

 

ふらりと突然現れた私に、代表のみみちゃんは「病気が治ってなくてもいいです。体調の良い時だけ、居場所で働いてみませんか?今、居場所のスタッフがいなくて困っていたんです。」

と声をかけてくれました。

思いもよらない提案と展開でした。

 

誰にも必要とされていなかった私を必要としてくれました。

今のままでいいんだよ、と言われた気がしました。

 

その日から、アルバイトとして居場所のスタッフを始めました。

また、それとは別に他の仕事も増えていきました。

 

珈琲が出来るまでや、みみちゃんの半生の漫画を描く。

どんどん増える(今では8種類!)珈琲のパッケージデザイン、およびその消しゴムはんこ製作。

ヤギを飼育する、そのヤギを商用するために「家庭動物管理士」の資格を取る。

冷凍ハンバーグのラベルシールを貼る、またそのハンバーグの運搬。(7㎏痩せたのでハンバーグダイエットと呼んだ)

酒饅頭を販売するために作り方を研究し、こし餡から手作り。

珈琲のハンドドリップをしマルシェで販売。

珈琲を楽天市場で販売するためのデザインとページ作り。

居場所の利用者さんのランチ作り。

などなどなど、、、。

居場所のスタッフをしながら、こんなにも多種多様なことをやってきましたし、今も続いている事もあります。

 

「にゃーさんにしてもらいたい事があって」と、みみちゃんは決まってニヤリと笑いながら、私がビックリするような仕事を与えてくれます。

絶対無理、と思うのですが「にゃーさんなら出来ると思います。」と言われ、どれも楽しくチャレンジしてきました。

私が「ひびうたのマルチタレント」と呼ばれる所以です。

不思議なもので仕事が増えるごとに病気も良くなり、鬱病の服薬も通院も今はしていません。

ドクターからは完治ですと言われました。

完治を境に、勤務時間も少しずつ増え、正社員として働くことにもなりました。

 

しかし、人との距離感が上手く取れない「対人依存」の強い私。

どの仕事よりも、居場所の支援員としての仕事が一番乗り越えるものも課題も多かったし、今も日々勉強中です。

 

ひびうたが作りづづけている「居場所」は、「誰もが居ていいと安心して思える場所」です。

依存の強い私は、つい誰かの役に立ちたい、困っている人を何とかしてあげたいと思い、そうする事で自分の価値を見出してしまう所がありました。

そのせいで、利用者さんを結果的に傷つけてしまったり、仕事とプライベートの境が曖昧になって困ってしまったり、様々な壁にぶつかりました。

 

そうした中で、みみちゃんから居場所のスタッフとしての話の聴き方を教えてもらったり、誰もが傷つかず居てもいいと思える居場所を作るために大切にしていることを教えてもらいました。

 

利用者さんの考え、どんな価値観も否定せずそのまま受け入れること。

どんな考えを持っていても認めてもらえると、安心して自分の気持ちを話せるし、また行こうと思えます。

 

世間の常識や自分の経験からアドバイスをしないこと。

例えばアドバイスをして、それを実践した利用者さんが上手くいかなかった時、出来なかったということに利用者さんは傷つき苦しくなってしまいます。

反対に上手くいったときは、もっと認められたい、期待に応えたいと頑張りすぎてしまいます。

そしていつか期待に応えられなくなったときに、利用者さんはやっぱり駄目だったと傷つくことになってしまいます。

 

利用者さんのお話を聴くときは、私の意見を言わず共感しすぎず、アドバイスもしないように心がけています。

つまり「何もしない」こと。

依存性の高い私には、誰かの為に何もしないことは一番難しいことですが、利用者さんにとって誰かの期待に応えられなくても、何もしなくてもいい場所を作るためだと分かってきました。

 

そして何より大切なのは、その場所に変わらず居続けること。

「だれもが居てもいいと安心して思える場所」を作る、守る、そしてずっとそこに在り続けるということの大切さを感じています。

 

利用者さんを守ることは、けっして「管理をする」ことではないということを、ここひびうたで経験することができて、私はますますこの仕事が大好きになりました。

 

先日、またみみちゃんがニヤリと笑いながら言いました。

「にゃーさんにしてもらいたい事があるんです。」

というわけで、コミュニティハウスひびうたの事業管理者になることになりました。

これからも、居場所を作り続けるために頑張っていきたいと思います。

どうぞよろしくお願い致します。

 

コミュニティハウスひびうた

事業管理者 南野京子