10年前の私と、今の私

10年前の私と、今の私

こんにちは。

 

2021年

障がい者専用グループホーム(以下、GHと表記)のシェアハウスひびうたがオープンして一週間が経ちました。

 

2011年

前職でGHのサービス管理責任者として、立ち上げから現場の支援を含む運営におけるまでをまかせてもらいました。

 

当時も一軒家を利用して、今と同じ4人定員での共同生活のサポートを約4年間行いました。

 

一回のブログでは書ききれないほどの良い出来事と良くない出来事がありましたが、この一週間で向き合うことになった10年前の記憶について書いていきます。

 

その記憶は先週、近隣へ挨拶に行ったときに鮮明に甦ってきました。

 

以前のGHの近くに住んでいた方とは初めは挨拶を交わすなど親しく交流していましたが、入居者の声や音などの苦情をもらったあたりから、関係は早くも悪化していきました。

 

当時25歳だった私は苦情に対応したつもりでしたが、十分とは感じてもらえず、徐々に厳しい言葉をかけられることが増えていきました。

 

 

 

きちがいが住む場所じゃない。

 

迷惑やからとっとと出ていけ。

 

 

 

騒音から始まった苦情は障がい者を差別する発言を引き出してしまい、怒鳴りに来られる度に入居者には怖い思いをさせてしまいました。

 

今でも忘れられない言葉であり、対応の未熟さを猛省するとともに、近隣との関係の重要性を肌で感じました。

 

差別的な発言がわるいとは思っていませんし、差別的なことを思っていても言わないよりは言ってもらえた方が嬉しいとさえ思っています。

 

なぜなら無関心よりどんな形であれ関心を示してくれる方が理解し合える可能性があるからです。

 

しかし、このような形で差別的な発言を誘発してしまうのはよくありませんでした。

 

そして、今回近隣へ挨拶に回っていると、10年前にうまく関係を築けなかったその方と、年齢も顔もそっくりな人と出会いました。

 

さらに、障がい者に対する偏見を感じる言葉が飛び出すと、一瞬にしてじめっとした汗が体にまとわりつき、動揺する心を隠しきれず、しどろもどろな会話をして逃げるように立ち去りました。

 

その後、すぐに雨がざぁざぁと降り出し、その日は一日中頭が重くて疲れきってしまいました。

 

これは心的外傷後ストレスだと思い、次の日、冷静に起きたことを振り返り、今の私と過去の私は違うのだから、あの経験から学んだことを実践していけばきっと大丈夫。と言い聞かせました。

 

それから、何度かその方と会って話しましたが、初めは萎縮したり、へつらったりする自分に嫌気が差しながらも、心にかかっている偏見のフィルターを外して、過去の人ではなく目の前の人を見つめようと思い直して対話すると、まだまだぎこちないながらも徐々に自然体で振る舞えるようになっていきました。

 

GHをこの街で始められて本当によかったと思っています。

 

もしコミュニティハウスひびうたの近くだったら、これまでの活動によってある程度理解してもらえている近隣の方たちから、偏見のような言葉を聞くことはなかったと思います。

 

ただ今回のことで、その環境に甘えていたことに気づくことができましたし、立派な条約や制度が整った現在でも、世間の障がい者に対する偏見は存在し続けていることを改めて感じることができました。

 

逆に私自身の心には健じょう者に対する偏見があることも改めて感じることができました。

 

近隣の方からは「ひびうたのことは聞いたことがあるよ」「がんばってくださいね」などと有難い言葉をかけてくださることも多いですが、これまでの活動の拠点とは少し離れた場所でGHをすることによって、障がい者と健じょう者の両方の偏見を新しい街でも溶かしていくことに価値を感じています。

 

10年前の私と向き合い、うまくいかなかったことを忘れるのではなく、活かしていきたい。

 

先日、鑑賞したカネコアヤノの曲にこんな歌詞があります。

 

今の私、今の私、今の私

甘い砂糖と苦い

グレープフルーツみたい

 

甘い未来の結果のために、苦い過去の記憶と向き合い成長できる、今の私でありたいと思います。

 

写真はいつの間にかシェアハウスひびうたの駐車場で脱皮していた蛇の抜け殻です。

過去の私から今の私に脱皮するとき!というメッセージを受け取りました(笑)

 

 

ひびうた代表

大東悠二