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junの支援日記 10

こんにちは。支援日記、10回目になりました。

日中は少しあたたかい日もありますが、夜になるとやっぱり寒くて、そんなことはもう何十年も人間をやってきて冬を過ごして分かっていることなのに、毎回びっくりしたり残念な気持ちになったりしてしまいます。人間はわりと、忘れやすい生き物なんでしょうか。そのくせ、子供の時に遊んだある日の景色やその時ともだちが言ったセリフなんかをずっと覚えていたりします。

 

さて、「境界線」の話、実践編のラストです。

 

「境界線」について今まで4回、書いてきました。(境界線について初回はこちらから読めます。)

前回のブログで、境界線を守るための実践として感情の整理の糸口となる「感情メモ」を始めてみたことを書きました。

これは今も続けてやっています。感情メモはあの後少し内容変更もしたので、その話はまた。

 

そして今回が、4・境界線を一緒にひいてみるです。

 

8月、お盆辺りから少しずつ書いてきて、やっと実際に「境界線を引く」ところまできました。

 

Dさんの「いろんなことが気になるんです」という一言から始まった「境界線問題」は、私にとってたくさんの事を見直したり、考えたりするきっかけになりました。

 

はじめ「気になる、をひとまずはよしとする」ことで、まずはDさんに安心してもらおうとしました。

その上で「境界線について知る」ことを学んでみて、「自分の感情を整理する」ことにも取り組んでみましたが…、

 

進める中でだんだん私の中で大きくなっていったのが「Dさんへの精神的、論理的なアプローチだけでは、無理がある」ということでした。

 

・Dさんだけ変われば解決する問題ではない。

・Dさんだけの問題ではないのに「他者への関わり方をうまくやっていきたい」という思いが本人にあり相談を受けて取り組んでいるのは、Dさんだけ。

・Dさんの特性や現状を考えると、境界線というものについて感じたり、理解して実践するということが、支援を入れても限界はある。

 

それでも毎日、DさんもAくんもBさんも、仕事に来る。そのたびにDさんの中に「気になる」が発生して、感情メモに書いて、話を聞いて…その繰り返しだけで、果たしていいのか?という疑問がおこってきました。

 

もちろん少しずつは、変わっていくと思います。人と人が仕事をする上で、少しの摩擦も当然と考えています。そこから学べることも大いにあります。感情メモなどの精神的アプローチは、これからも続けていく。

 

でも、一番大切なのは、境界線どうこうの対人スキルを身につけることではなく、Dさんが自分自身のことに思い切り悩めたり、自分のことを大切にできたりすること。仕事の上では、まずは焙煎が安定していくことです。

 

Dさんは安心すると、以前よりいろんなことを話してくれるようにはなりましたが、「誰々の行動が気になって、腹が立って…」というネガティブな感情を持たせたり、口にさせたりしてしまっていることが、そもそもあまりよくないのでは?人と向き合いすぎて、自分の課題が見えづらくなっていないだろうか?という気持ちが、支援する私たちの中で芽生えて消えなくなっていました。

 

摩擦はゼロにはできないとは思うのですが、この時の摩擦は過剰だったのではないか、ということです。

その中でDさんに精神的、理論的なものだけで「境界線を引く」をやってみようね、というのは難しいなと。

 

そこで、私たちがやってみたのは、物理的に境界線を引くことです。

 

3人が一緒に作業していた部屋は、人数からすれば十分な広さではありましたが、このメンバー、この組み合わせには広さが足りなかったと判断しました。物理的な距離が近いので、どうしても他人の行動が目についたり、介入してしまったり。

 

お互いが目に入らなければ、そういったことが起きにくいのではないかと考え、思い切ってDさんを同じ建物の別の階に移動してもらうことにしました。

もともと相談室として使っていた場所を、一部屋まるまるDさんの焙煎室に。

 

移動の際に気をつけたのは、ふたつ。

 

・移動する先は、本人にとって移動する前より快適な場所であること。

(実際にエアコンなどの効きが良かったり、広かったりする場所を選びました)

・Dさんが移動することで、不便になる利用者さんがいないこと。

 

また、Dさんにも他の2人にも、Dさんの発言等を受けてだということは、特に言いませんでした。

自分のために大幅な模様替えをすることなど、知ったら気を使わせてしまうだけで、そのために言いたいことを言えなくなってしまうかもしれないので。

 何よりDさんが何度も言い続けてくれるまでこの方法を思いつかなかったのは、私たちの問題なので。

 

これによって、Dさんは2人の姿が目に入ることはなくなり、「気になる」は、ほとんど言いようがなくなりました。

他の2人の言動は変わっていませんし、Dさんもそのままですが、見えない場所にいるだけで、3人が安心して働けるようになりました。

 

こうしていったん、作業中の大半の時間は境界線を引くことができました。

 

このやり方が必ずしも正解、ということではないと思います。

 

それぞれと話をして、円滑な関係を築くサポートをした方がいい場合もあるだろうし、物理的に距離をとることは、今回はそれができる条件がそろっていたけれど、どうしても出来ないケースもあると思います。

 

ただ、今後同じようなことが起きた時の選択肢が増えたなと、この時思いました。

 

私はまだまだどうしても「今の状況にどうやって利用者さんを合わせていくか」、そのためのサポートをどうするか、ばかりを考えがちなのですが、同じ結果が得られるなら、状況の方を変えてしまってもいいわけです。

 

これはこれで、Dさんは少し寂しい気持ちを味わったり、自分自身の課題と向き合う時間も増えて行き詰ったりと、また別の問題も起きてはきましたが、それもまた別の機会に書けたらと思います。

 

 

【「境界線」の話~実践編~4】でした。

 

 

 

「境界線」のテーマは就労でも、居場所でも、なんならプライベートでも。

 

いつでも、どこの場面でも、少し意識していると「あ、今わたし境界を越えてしまったな」「お、このひと境界線があいまいになってる」と、キリがなく、人類の永遠のテーマだなあ、とつくづく。

 

気づいてしまうと気になってきて、そのことに少し傷ついたり落ち込んだりもしています。

しかも、何故かやってからだと気づくのに、やってしまった瞬間に気づくことだってあるのに、やっている最中や寸前には自分では気が付かないし止められないという……

 

ただ前にも書いたように「他人は他人で、自分は自分だから」と簡単には割り切れないこともまた、人として生まれてきた醍醐味だよなあ、とも本当に思うのです。

 

今はなんたらディスタンスとか「住み分け」とかよく言うけれど、境界線にこだわりすぎて分断を生みすぎないようにというか、やむを得ないとしても、そこには分断が生まれていく可能性があることも忘れないようにしようと思います。

 

そしてどれだけきれいに線を引いたって、立派な壁を作ったって、その引いた線や建てた壁も、相手には見えてしまうし、どうしたって影響を与え合っていくんだなあと。

 

それでは、また。

 

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コメント: 3
  • #1

    カレン.ロバート (火曜日, 06 4月 2021 14:26)

    大変勉強になりました。
    私達も勝手に境界線を引いてしまっているなぁと思いました。
    共同作業しなければならないのなら別室での作業もやむなしかと。気になる事をとっぱらわないと本人がいつまでも気にしてしまうのは良くないと思うしその不穏な空気のせいで他者も不穏になっては困ると思います。
    また更新されるのを待ってます

  • #2

    jun (火曜日, 06 4月 2021 16:26)

    カレン.ロバートさん
    つたない支援日記を読んでいただき、ありがとうございました。
    私も日々いたらないことが多く、学びの毎日で、この日記は私の成長日記のつもりでいました。そのように言っていただけるとは思わず、驚いています。ありがとうございます。
    ゆっくりになりますがまた更新していきます。よろしくお願いいたします。

  • #3

    えだまめ (月曜日, 31 10月 2022 09:57)

    まさに、今の私にピッタリの話題でした。
    支援が必要である人も、そうでない人も、とどのつまりはみんな同じ。
    みんな違うし、みんな同じ。
    そこを、どうやっていくかで、「穏やか」がやって来るか遠退くか。