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junの支援日記 8

こんにちは。junの支援日記、8回目です。

 

ひびうたでは「8」という数字を見かけると両手を下に広げて「末広がり~~~」とふざけるのが一部のスタッフで流行って?います。かなり古典的と言いますか、初歩的なネタですが、そういった小さなことでよく笑っています。

 

末広がりだとなぜ縁起がいいのか、よくよく考えてみると分からないというか、科学的な根拠はないというか。

仕事でも何でも時が経つにつれて先細りになっていくよりは広がっていくほうがいいのは分かりますが、縁起がいいとされる富士山とか、扇とか、縁起がいいものが末広がりになっているのか、末広がりになっているから縁起がいいのか、もはやどちらが先か謎です。でも、末広がりのものを見ていると何となく落ち着くというか、いい気分になりますね。

 

何にせよ「末広がり~」と言ってふざけて笑っていられる自由な場と日常の中に楽しみを見つけられる余裕が私たちにあることが、幸運なのだろうなと思います。

 

 

さて、【「境界線」の話~実践編~2】です。前回のブログで、「気になる」という気持ちはひとまずは良しとする、ということを書きました。

 

今日は、2.境界線について知るについて書きます。

 

何らかの出来事に利用者さんの心が揺らいだ時、そしてそれをこちらに何らかの形で表現してきてくれた時、初めて「課題」として取り扱うことができる、という感覚が私の中にあります。

こちらから「課題ではないか?」と伝えることもゼロではないのですが、本人が困っていなかったり、そもそも課題として認識してもいないのを「変えていこう」というのは利用者にとってはピンとこないし、下手したら心の準備ができていなく傷ついてしまい(傷つくこと全てが悪いとも思っていないのですが)、無理にすすめてもうまくいかない事が多いです。

 

今回、Dさんが相談してきてくれたので、これは「境界線」について伝えてみるチャンスだと感じました。

 

「境界線というものが人と人の間にはある」「超え続けてしまうとしんどくなる」ということを、本人がつらさを感じている今だからこそ、向き合えるのではないかと思ったのです。

 

ただ、考え方編に書いたようなことをDさんにいきなりバーッと説明しても、Dさんの特性上、多分うまく伝わりません。心の概念みたいなものを説明するのってただでさえ私には難しいのに、どうしようか…考えた末、私が出した答えは、

 

野球の守備範囲に例えて説明する

 

でした。

 

なんじゃそりゃ?????? という感じだと思うのですが、これには理由があります。

 

Dさんは、大の野球ファン。コーヒーの仕事で稼いだお金で好きなチームの応援に行ったり、チームのユニフォームや公式グッズのTシャツを私服にしていたり。勉強は苦手で、「自分はバカ校出身だから…」と自虐的に言ったりもしますが、野球のルールはしっかり頭に入っているし、選手の名前を覚えるのは大得意。自分が物心つく前の野球史にまで詳しかったりします。

 

失敗して「完璧にやりたい…」と悩んでいる時に「勝率8割なんだから大丈夫。バッターだったら4割打てばものすごい強打者なんだから」と言って励ますと少し元気になったし、「Dさんは選手。私たちはコーチや監督」などと、野球の話に例えて話すと途端に顔が上がり、目が輝く感じがする時が普段からありました。

なんでもかんでも野球に例えすぎて問題をすりかえたり余計に分かりにくくしてしまわないように注意は必要ですが、本人の興味の持てることや理解のできる範囲に合わせるというのは、新しい話をするときに少し意識しています。

 

 

さて、Dさんとの面談の時。境界線というものについて話すよ、と軽く説明した上で、Dさんに見せながら、2つの黒い点を書きました。

 

「これ、サードね。こっち、ショート。」

 

黒い点のそれぞれの周りに、円を描きます。

 

「これ、サードの守備範囲。こっちショートの守備範囲」

 

「この円の中が、それぞれの守るべき範囲。この円の中はサードが自分で守る。こっちの円の中は、ショートに任せる。」

 

と、「境界線をひくこと」について、野球チームの選手がそれぞれの役割を守り、互いを信頼し尊重することに例えて話しました。私自身が境界線について考えながら図をノートに書いているとき、「なんだか野球の守備みたいだな」とひらめいたのです。

 

 

この先の話が私にとっては重要でした。

 

「それで、一応守備範囲はあるんだけど、超えてはいけないっていうルールはないし、この2人は同じチームだから、この円の外のことももちろん気になるし、気になっていい。自分の守備範囲じゃないからと見向きもしないチームメイトなんて、さみしいよね。

で、2人の真ん中辺りにボールが飛んできた時にはお互いが声かけあうのが理想だけど、それぞれが一生懸命走ってって、ぶつかってしまうこともある。あと、サードの範囲だとしても、取り損ねたのをショートがカバーして取ってくれたりするのも、めちゃくちゃありがたい。

こんな感じで、野球でも人間関係でも、『境界線』って、つい超えてしまうことがたくさんあるんだよ。

ただ、同じチームなのに『ここまで俺が守るから、ジャマするなよ』と牽制し合ってたり、わざとじゃなくても毎回ぶつかってくる相手がいたりすると、やりにくいよね」

 

野球にせよ、仕事にせよ、どうでもいい相手ならば、腹が立つことも、気になることもありません。どこかで期待しているし、自分も期待に応えたいから、摩擦が起こるのだと思います。

必要以上にぶつかり合うこともありませんが、お互いが一生懸命にやった結果ぶつかる時があるのは、愛しいことなのではないでしょうか。

そして、そうは言っても、ぶつかる頻度が高いとどうしてもやはり、しんどくなりがちです。

 

「境界線」という言葉を出したときにはややキョトンとしていたDさんでしたが、「野球の話だと分かる」と笑顔をみせました。

 

本当は助け合っていきたいのにうまくいかないから、イライラしてしまうんだよね、と加えて伝えたときにも、穏やかな表情でうなずいてくれました。

 

「心の境界線」という心理学的なものをDさんが完全に理解したわけではないと思いますが、なんとなく「そういうものがあるんだな、自分の感情も当然なんだ」というのはこれで少し感じられたかなと思います。

 

で、知った上でどうするか。その先こそが問題なわけですが、続きはまた次回のブログに書いていこうと思います。【「境界線」の話~実践編~2・境界線について知る】でした。

 

 

 

書いてみて、「例え話」って、場合によっては分かりやすいし気持ちいいけど、やりすぎると危険だから気をつけないとな。と思いました。

野球だったら4割打者ですごいんだから、という以前の私の声かけも、そうは言ったって実際やっているのは野球ではなくて焙煎だし……と今落ち着いて考えると、あまり適切ではなかった気もしてきました。

 

例え話で相手のフィールドに入り、目線を合わせて話すことで伝わりやすくなるならばいいけれど、その場の言葉のおさまり具合の気持ちよさだけで満足してしまってはいけないなと。

その人なりに伝え方を色々考えてくれたということそのものが嬉しい、というのはあるかもしれません。が、それも「考えてくれたという気持ちが嬉しい」というところに伝える側が甘えてしまってはいけないなと思います。

 

大切なのはきちんと伝わる、ということなので、例えることが目的になってしまわないように気を付けようと思います。

 

 

あと、これは完全に余談ですがショートとサードの話をしていた時に私の頭の中に浮かんでいたのは、長嶋茂雄さんでした。

 

現役時代、サードなのにショートの守備範囲のボールも取っていたことがたくさんあったとか。ショートが捕れば平凡なゴロですが、サードが捕りファーストへ投げればファインプレーになります。

一方で、フライは「絵にならない」ということでショートの選手にまかせていたとか笑

 

送球後の指先まできれいに見えるように意識していたり、ヘルメットもわざと大きめを被って空振りした時に脱げるようにしていたりと、魅せる野球にこだわっていたようです。

時にはセカンドのボールまで捕りにいっていたそうで、なかなかの境界線の侵し具合ですが笑、もちろん素晴らしい活躍をみせた方ですし、何をしても憎めない、不思議な魅力のある方ですね。

 

 

次回は3.自分の感情を整理するについて書いていきます。よろしければお付き合いください。