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junの支援日記 3

こんにちは。junです。じめじめとした季節になってきましたね。

 

「自粛疲れ」とか言いますが、疲れるのにも疲れてくるような、疲れるのにも集中力っているんだな、なんて思う今日このごろ、皆さんいかがお過ごしですか?

 

私はというと、湿気とマスクであごまわりの肌荒れがひどいです、と友人に言ったら「あごまわりの肌荒れはホルモンバランスの乱れだよ」と言われました。そうなんですか。じゃあそっちでもいいです。肌荒れがひどいです。

あと、低気圧のたびに頭痛がして、人類はもう野生動物じゃないんだから、雨が降りそうなのとか頭痛で分からなくてもいいのに…私、卑弥呼とかじゃないし……と嘆いています。(卑弥呼の情報が雑なのでそこは許してください)

 

そんなときは最近買った滝沢カレンさんの「カレンの台所」を読むと元気が出ます。

「二の腕気にして触ってるくらいの力で、鶏肉をさらに最終刺激」とか、独特な感性の滝沢さんの言い回しがクセになる。

しかも、何故か分かってしまうし、むしろ分かりやすいし、料理本としてちゃんと成り立っている不思議。

本を読まない人、料理を作らない人にもおススメです。

 

 

さて、支援員としてずっと変えないでいようと思うことの2つ、のもうひとつ。

 

「自分達の仕事で、他の誰かの励ましになれるものを作ること」について今日は書いていきます。

 

 

ひびうたで働く利用者さんの多くが、「励まされる側」にいた人達です。

 

就職したものの、厳しい仕事内容や上司の叱責に耐え切れず、自信をなくした人。

学校に行っていたが、体調を崩したことをきっかけに、障がいや疾患が分かった人。

家庭の事情などにより、義務教育を終えた後就職や進学をせずひきこもり気味だった人。

 

もしも自分の大切な友人がこのような経験をしたと話してくれたら、「大変だったでしょう」とねぎらい励ましたくなってしまうのが大半の人の自然な、優しい気持ちではないでしょうか。

時には「もっと頑張らないと」「苦労してるのはみんな同じだよ」などとやや圧力のある言葉をかけてしまう人もいるのでしょうが、ひびうたに彼らをつなげてくれるのは基本的には皆さん、優しい方たちです。

 

ですが、励まされる「のみ」で日々を過ごしていくのは、実はしんどいというか、情けないというか、物足らないというか…なんというか、時には残酷にさえ感じられるものです。

 

何かにつまずき、自己肯定感が下がってしまっている人なら、なおさら。

周囲に気を使ってしまったり、申し訳なさを感じて、より自分を追い詰めてしまうこともあるように思います。

ひびうたにはじめて来た時「自分は親不孝だと思う」というように話してくれる方はとても多いです。

 

励ましそのものが悪なのではなく、「どちらかが一方的に」だったり「励まし/励まされ」の分量が偏っていてそればかりが続いていくのが不自然だ、という気がします。

 

 就労支援のめざすものとしてよくあげられるのが「社会復帰」です。

ただこの「社会復帰」というのが少々疑問の残る言葉だと私は思っています。

 

一般就労して週に5日休まず働くことや、健康で元気でいることが、いつでも誰でもの理想でしょうか。

仮に理想だとして、それが現状うまくできない場合は、なにかから「離脱」したってことになるのでしょうか。

(復帰、の反対語は離脱です)

 

まるで「一般社会」から外れた者は、元に戻るべきだ、と言われているようで……

(ていうか多様性がさけばれはじめた昨今で「一般的なこと」の良さも基準もだんだんわからなくなってきてるのに…)

 

言い始めた人はきっとそんなつもりで言ってないとも分かってるんですが…まあ、つまりは言葉としてあまり好きじゃないんですよね。

 

だから、ひびうたは「社会復帰」よりも「社会進出」をしていこう、と決めています。

 

無理するのではなく、でも諦めずに、ありのままの自分達の姿で誰にでも誇れる良い仕事をして、社会に参加していきたい。

 

コーヒーづくりはやってみると大変に奥深く、社会復帰の足がかりにだけにしておくにはもったいない、というのもあります。

 

苦労して作ったおいしいコーヒーとみんなの姿で、もしも他の誰かを励ましていくことが出来たら、そんなに嬉しいことはありません。

 

「励まされる側」から「励ます側」へ。利用者さんを支援する上で、私の中でそれがひとつの大きな目的です。

 

ただ、先にも書いた通り「励まし」の偏りは、好みません。

 

励ますとか救うとかって、ともすれば高慢な美意識だと思います。励ましたら元気になるとか、救うと決めたら偉いとか、そんな単純なものではない。「励ます側」の満足でやってしまっては危険です。

「励まされる側」からはじまる私たちだからこそ、そこのさじ加減は大事にしたい。

 

「励まされる側」から「結果的に、気づいたら励ます側にもなってた」。それくらいの転換でいいと思っています。

 

これはちょっとコーヒーづくりの支援員ならではのマニアックな話ですが、私たちは豆の焙煎をすることを豆への「支援」だと考えているところがあります。

 

例えば、

 

・選別はきちんとするけれども、欠点豆も十分においしいので、焙煎して居場所で飲むことにして、欠点豆の新たな役割を見出す。

・玄米などのノンカフェインコーヒーは体に優しいかわりに少し物足りないとされがちだが、コーヒーとしておいしく飲んでもらえるように味にこだわって研究する。地元のお米の消費に貢献する。

・一般的にアラビカ種より「イケてない」とされるロブスタ種のコーヒーに着目し、こだわりのダブル焙煎でまろやかさを引き出し、ロブスタ種のイケてる部分を最大限に引き出せるようにする。

 

こういったように材料の良さを私たちの力で発掘していく作業のことを「支援みがある」と私は言っています。

 

コーヒー豆へも「支援み」を持たせることで、全く別物のようなコーヒーの仕事と支援員の仕事をつながったひとつのこととしてとらえることが出来ます。

 

で、つまりは、

 

私たちが支援した利用者さんの手によって、豆が支援されおいしくなり、コーヒーとなり、誰かの喉や、時には心を潤す…

 

この連鎖について考えると、「いいじゃん、いいじゃん」と思ってけっこうニヤニヤしてしまいます。

 励ましを、言葉だけでなくコーヒーで表現できるのが、この仕事の楽しさです。

 

 

ひびうた珈琲は今「居場所をつくる珈琲店」をコンセプトに掲げています。

 

少し前までは「物語のある珈琲店」でした。

 

苦労という私たちの物語を共有し合い、そこから一歩踏み出そう、その姿を見てもらえたら、というのが「物語のある」でしたが、今は「居場所をつくる」としています。

 

コーヒーづくりを続けてきて、お客様とお話したりひびうたの居場所でコーヒーを飲む人を見たりして感じたのは、コーヒーを安心して飲める一息つける時間があること、コーヒーを飲む時間に誰かと会話を交わす空間そのものが、贅沢でかけがえのないものだということです。

 

つらいとき、落ち込んだとき、泣きそうなとき、寂しいとき。眠たい朝、疲れた夜。

 

誰かの言葉で元気になることももちろんあると思いますが、そっとおいしい飲み物を一杯差し出すようなさりげなさで、人を元気づけられたら。

一緒にいられなくても、そこがひと時だけでも「居場所」になったら…と思います。

 

その「居場所」であるコーヒーをつくるのが、苦労を重ねてきた利用者さん達だからこそ、より優しさと説得力、そしてオリジナリティがあると思っています。

 

 もちろん、楽しいことやうれしいことがあった日にも、ひびうた珈琲をそばに置いてくださったら幸せです。

 

 

 これが私にとっての「自分達の仕事で、他の誰かの励ましになれるものを作ること」です。

 

前回と今回の2回に分けて、私が支援員として大切にしていきたい「専門家になりすぎないこと」「自分達の仕事で、他の誰かの励ましになれるものを作ること」について書きました。読んでくださった方、ありがとうございます。

 

 

次回からは、日々の支援のとりくみ方などについて書いていけたらと思っています。では、また。

 

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